2020年12月6日

「お兄さん、10分追加でいいでしょ?サービスですよ」

頭の後ろからおばさんが話しかけてくる。ぼくはマッサージ台の上に開けられた穴に顔を突っ込んでいて、後ろで何が行なわれているかはわからなかった。「追加でお願いします」と返してから、ちょっと考え、「でも早めに終わらせたいんです」と続ける。おばさんは少し困っているようだった。後輩の女性から勧められた韓国マッサージ店を訪れたはいいものの、予約時に誤って長時間のメニューを選んでしまい、次の予定があるから時間を縮められないかと相談していた。おばさんから渡されたグラスは韓国でよく見かける金属製のひんやりしたもので、冷たい水がなみなみ注がれていた。韓国マッサージかと思っていたが、店員はみな中国人だった。正規料金を払い、30分だけ施術時間を短くしてもらう。

幸か不幸か、ふだん生活していて肩や脚が凝っていると感じたことはほとんどなかった。「肩こり」という言葉や概念を知るまで人は肩こりを感じないと以前誰かが言っていた気がしたが、ぼくはすでにその存在を知っていたし、気づいていないわけでもないらしかった。単に凝らない。だからマッサージを受けても、それが効いているのかどうかよくわからない。ならば行かなければいいのにたまにふと思い出したように行ってしまうのは、なにか、自分の身体を変形させたいような気持ちがあるからなのかもしれない。凝っていないぼくの体は柔らかく、変形させてもさせなくても崩れていってしまっているようだったが。

この日受けたマッサージは、所謂リンパマッサージのようなものだった。所謂とかのようなとか言っているのは自分でも何がなんだかわからないまま選んでいたからだった。後輩の女性の言うとおり、この店はたしかに安く、薄暗く、用意されたパジャマのような服はダサかった。おばさんがカッサのような何かを使って、というかカッサ以外ありえないと思うのだが、カッサが何なのかわかっていないので判断がつかず、とにかく手足の肉を剥いでいくように小さな板のようなものを滑らせていった。

気持ちがいいのかどうかはよくわからなかった。リンパというのが何なのかもいまだにわかっていなかった。わからないことだらけだった。いろいろなところにリンパ節というのがあって、リンパが滞らないように流していくのがいいらしい。これはさっき「リンパ 流れ」と検索して一番上に出てきたページに書いてあったことだ。体の中を流れるもの。押したり撫でたりしながら、その流れは、なめらかになっていく。ぜんぜん凝らないぼくの体の中でもきっと何かが詰まっていて、おばさんはせっせとそれを流そうとしているのだろう。おばさんの施術は力強く、小さな板であちこちの詰まりを爆破していった。施術後の体を見ておばさんは「だいぶスッキリしてるよ」と満足げな表情を浮かべていたが、何が変わったのかはいまいちわからず、体のあちこちにあったはずの詰まりがなくなってしまった喪失感だけが手元に残されていた。