2020年11月16日

いつしか電車に乗る機会が減って、ほとんど自転車かタクシーで移動するようになった。自転車に乗ると、丈の長いコートを着なくなる。丈の長いコートを着ると、自転車に乗らなくなる。先月買ったのは足首まで丈のある大ぶりのトレンチコートで、階段の上り下りすら鬱陶しく、当たり前のように自転車に乗る頻度も下がっていった。歩く。コートの裾が脚にまとわりつき、振り払うように脚を前に出す。自然と歩幅が大きくなる。

引越しや事務所の開設、あるいはコロナ禍のようなものによって生じた移動の変化は、きっと想像以上に多くのものを変えているだろう。思えば、春先は意味もなく自転車で走り回ったり、毎日のように川を眺めに行ったりしていた。以前より少し都会に引越したから、住む環境や移動距離の差分を調整していたのだろうか。近ごろはふらっと川を訪れる機会は減ったが、毎日のように川を渡るようになった。西から東へ隅田川を渡り、また東から西へ渡る。往復する。川を渡るときだけ自分の身体は広がっていて、道を歩いているときはなんだか窮屈だ。赤いシェアサイクルに乗っているときは、ボロボロの自転車の上からこぼれ落ちないよう自分を乗っけているような気分。

包まれているとか乗っかっているとか、そういうふうに身体が変化しているようにも思え、少し虚しくなる。STAY HOME、マスク、定期的に除菌されたタクシー。包まれることは悪いことではない。フィルターバブルやエコーチェンバーと紐づけて現代社会を批判したいわけでもない。実際のところ自分の体はなにかに包まれてきっているわけではないし、よく目を凝らせばあちこちに隙間があったり、穴が開いていたりもする。このところ何かの外側に出ようと思っているのもそういうことなのだろう。隙間から外側を覗き見る。隙間は小さくて外の景色は見えないかもしれない。オードリー・タンが気に入っているというレナード・コーエンの詩の一節を思い出す。「すべてのものはひび割れている 光はそこから射しこんでくる」。

大きなコートは中にいろいろ着込めて温かいようにも思えるが、隙間から風が吹き込んでくるから結局寒くなることも少なくない。丈の長いトレンチコートを振り回すようにして歩きながら、袖や裾から入ってくる空気を感じる。たしかにひびから光は差し込んでくるが、同時に熱は外に出ていくだろう。ベンチレーション。スリットを入れるように、包装に切り込みを入れる。除菌されたタクシーも、窓は開け放たれている。熱が外に出ていく。体温が下がる。流石に寒いなと思って、コートのボタンをしめる。