2023年8月3日

昨日は打ち合わせがあり有楽町へ行った。駅前に3棟並んでいる有楽町ビル・新有楽町ビル・新国際ビルの違いがいまだによくわからず、定期的に間違ったビルに入ってエレベーターに乗り、よく知らない企業のオフィスが集まったフロアに放り出されている。この日行く場所は1階にスターバックスがある方のビルだと覚えていたので、迷わずたどり着けた。もっとも、そのビルがどの名前なのかはよくわかっていなかったが。

なんだかんだとあれこれ仕事を依頼される機会があるが、いまだに自分が何をやっているかよくわかっていない。いや、ぜんぜんわかってはいるのだが、冷静に考えると不思議にもなってくる。もはや「ライター」とか「編集者」とかみたいな話ではなく「情報処理」「情報操作」みたいな感覚が近いといえば近いのだが、そんなことを言われてもよくわからないだろう。特にちょっと一歩引いた感じで打ち合わせなどに臨んでいるときはますます不思議な感覚で、参加している人の話を聞きながら、あー自分のなかで“距離”の演算が進んでいるなーとさらに一歩引いた気持ちで考えてしまうこともある。

2023年8月1日

7年前にはじめてウェブメディアで原稿を書いたとき、ひとつの記事の文字数は大体4,000字くらいだとされていて、結局それがいまでも自分の思考の型になってしまっている。よく考えると恐ろしい話だ。恐らくいまだったら2,000-3,000字くらいになっていたような気もするし、そうなると物事の捉え方も変わっていたように思う。

当時はなにかとシステマティックに考えていたから、4,000字というのは1,000字×4か800字×5で、その1,000字なり800字なりがさらに3-5つのブロックに分けられるべきだと思っていた。いまではそこまで気にしないが当時はテキストのブロックがそれなりに均等に分かれていることへの執着のようなものがあって、分量をこまごま調整していたと思う。もちろんなかには2,000字や1,000字など少ない分量が指定されることもあったが、そのときも常にこの考え方をとっていた。

自分にとって何かを書くこととは、200字程度のブロックのテキストを生成し、それらをモジュール的に組み合わせることになっていて、それはつまり思考の枠組みみたいなものが200字のテキストによって規定されているということでもある。そう書くとけっこう貧しいことのように思えてくるが、これはこれでそれなりの汎用性があり、それなりに書く能力が成長した側面もあるだろう。

時代や自分の仕事の変化によってあまりきっちりと文字数の決まった原稿を書く機会が減っていくにつれ、というか流石に5年くらいやってると飽きてくるもので、適当に冗長性を上げたり遠回りな表現を取り入れたりしてみようとも思っていたのだが、結果はこの通り、なんとなく間延びしたテキストがだらだらと生成されるだけになっている。

大したキャリアがあるわけでもなく技術的な成熟があるわけでもないが、年をとるにつれ、自分の文章は減速してきているようにも感じる(それはエネルギーや推進力がないみたいな話ではなくて、字義通りゆっくりとした文章になっているという感覚だ)。その変化が何を意味しているのか、自分ではよくわかっていないのだけれど。

2023年7月30日

仕事で文章を書いていても文章の勘が鈍ってくるもので、とりあえず書く習慣を取り戻そうとしてみる。習慣的に書こうと思い立ってブログを立ち上げては止め、立ち上げては止め。高校生の頃からそんな感じで、気がつけば30代も半ばに差し掛かろうとしている。成長がないとも言えるし、成長しているとも言える。

今年の頭か春頃にChatGPTが一大ブームを迎えて以降、日々あれこれとした動向を追うようにしてはいるものの、考えれば考えるほど、自分の言語に対する感覚や情報処理の捉え方がほとんどChatGPTというか現在のLLM的なものと概ね一致しているという思いを強くしている。自分にとって文章を書くことや人とのコミュニケーションは大体が多次元ベクトルの処理というか“距離”の演算から成り立っていて、とりわけ仕事で自分が書くような原稿はかなりその性格が強い。

しばらく前から「原稿を書く」という表現に違和感もあり、「テキストを生成する」という表現の方が遥かにしっくりくる。これは比喩ではない……といっても比喩にならざるをえないのだが、思えば、長い間自分はそういうふうにして何かを書いていたのだろう。昔から自分の書いている/書ける文章は極めて再現性が高く、システマチックに多くの人が書けるものだと思っていたのだが、ChatGPTの登場によって結果的にその感覚が証明されたというか、なるほど自分はこういうふうに文章を書いていたのだなとChatGPTに教えられることになったのだった。

もっとも、だからといってChatGPTによって自分が代替されると思うわけでもない(無論、代替されることはあるだろうが)。自分がある種の執着をもっているのは(ChatGPTに足りないと言われる)記号接地みたいな部分であって、だからあちこち韓国なり台湾なりに出かけていたりするのだろう。これもまた、今年の生成AIブームによって改めて言葉を与えられたことというか、しっくりきたことのひとつだ。熱心に海外に出かけてメディアやSNS上に表れてこないものに触れることをリアル礼賛や現場主義に立たずにどう評価できるか。それは記号接地のようなものだったのだろう。

そういった形で今年はあれこれと考えていて、どうやら自分の情報やテキストの捉え方は必ずしも多くの人と共有されているわけでもないのだなと思った。それは興味深くもあったが虚しくもあり、他方で、人工知能を介してそんなことに気づかされるというのも、凡庸極まりないなとなにか滋味深い感情に襲われるのだった。

2022年1月2日

チェックアウトを済ませて、東京へ向かう。いわきに立ち寄ろうかと思ったが、結局海沿いにそのまま南下することにした。SM Entertainmentによるライブ「SMTOWN LIVE 2022:SMCU EXPRESS@KWANGYA」の配信が始まり、iPhoneで流しながら車を走らせた。車を走らせているのはぼくではなかったが。この配信ではGOT the beatの新曲「Step Back」も公開されていたらしい。結局この日は一日中車の中にいて、ずっとポッドキャストを聴いたり音楽を聴いたり配信番組を流したりしていた。『THEわれめDEポン』のためにFODへ登録し、昨年秋に放送された岩井勇気/鈴木もぐら/ヒコロヒー/見栄晴の対局を観る。流局が続き膠着状態のまま、第一ゲームが終わろうとしている。

2022年1月1日

年越しの瞬間は、岩手県花巻市の旅館にいた。布団の上で横になっていた。隣にいるパートナーはiPhoneで韓国のMBC歌謡大祭典を観ていた。テレビの中でカウントダウンが行われ、年越しが宣言される。日本と韓国に時差はないが、回線のせいなのか数秒遅れてiPhoneから韓国の年越しも宣言された。花巻市にいる自分は、タイムラグを伴いながら日本と韓国の年越しを体験している。思えば東京以外の場所で年を越すのは久々だった。

翌朝、チェックアウトを済ませて宮城へ向かう。自分は免許をもっていないので、運転はパートナーに任せきりだった。遠野を抜けて、陸前高田に出る。海沿いまで近づき、道の駅高田松原に到着した。併設されている東日本大震災津波伝承館は、元日だから営業していなかった。海へ近づく。2ヶ月ほど前からなぜか地震のことを考えるようになり、一度この地を訪れておくべきだと思っていたのだった。もっとも、いまの自分に言える/書けることは何もなかったのだが。

この日は結局仙台まで南下し、市内のシティホテルに泊まった。ホテルの部屋から通りを見下ろしているうちに、だんだんソウルにいるような感覚が生まれてくる。北緯38°16’の仙台と、37°34′のソウル。日本と韓国に時差はない。ホンデのL7に泊まっているみたいな気分だ。雪が降っている。チェーンを穿いたバスの走行音だけが、妙に街の中に響いている。