2021年5月23日

自転車で移動するようになって、服装が変わった。チェーンに巻き込まれたら困るので太すぎるパンツは穿かなくなり、自転車をこいでいるうちに暑くなるので半袖で過ごすようになった。それまでは電車や建物の中が寒いと困るので、梅雨に入るまで決まって長袖を着るようにしていた。どうせ7〜9月は半袖しか着なくなるのだから少しでも長袖の期間を延ばそうとしていたのだと思う。強がりみたいなものだ。5月も半ばをすぎると日中はそれなりに暖かいが、夜は涼しい。自転車で走りながら、こんなふうに涼しさを味わうのは久々だなと気がつく。

2021年5月22日

オフィスの近くのとんかつ屋で昼食をとっている。盛り合わせ定食。一口カツとエビフライと生姜焼き。常連客と思しき男性が店主夫婦と話している声が聞こえてくる。夫妻の娘は今年大学に進学したが、いまはほとんどの授業がオンラインで行われているのだという。キャンパスに行けないので生徒同士の交流は少ないが、夫妻の娘はひとりだけ友達をつくれたそうだ。4月に何度かキャンパスを訪れたときに知り合ったその友達と話しているうちに、夫妻の娘はお互いの生年月日が同じことに気づいたらしい。すごいよね、そんなことあったら運命かと思っちゃうよね。店主はそう言って、しかしすぐに、まあ運命なんてないんだけどね、と付け加えた。

2020年12月11日

國分功一郎・熊谷晋一郎『<責任>の生成ー中動態と当事者研究』が事務所に届いて、Amazonのベージュ色の紙袋についた引き手をツーっと滑らすと中から本が出てくる。帯の巻かれた本を見ながら、初めて見るはずなのに、どこかで見たことがあるような本だなあと思う。ネットで書影を見ていたからだろうか。あるいは、以前自分がふたりを取材したことがあったからそう思っただけだろうか。と、そこまで考えて、帯に使われている写真が自分の撮ったものだからだと気づく。なんと。それなりに驚き、それなりに嬉しくなる。

傷の記憶は、まだ意味を付与されていない記憶といえます。予期を裏切る新しい経験=傷を傷まないものにするために意味を付与する方法はふたつしかありません。傷を、経験のなかで反復するパターンの一部にしてしまうか、一回きりの物語の一部にしてしまうかです。同じような出来事が何回も起きればパターンとして受け入れることができます。一方で、物語は一度しか起きなかったことを、他者を呼び込むことによって反復パターンの一例にしてくれる。
(中略)
つまり、アイデンティティには「永続性」と「連続性」のふたつがあるということです。変わることなく自分はこういう存在だと「パターン」として理解される永続性と、一回しか起きないけれど経時的に連続しているという連続性。そのふたつがアイデンティティを構成します。しかし、トラウマを背景にもつ依存症の方は、後者の物語的な連続性を失い、トラウマの記憶を他者と分有する物語の一例にできず古傷になってしまう。すると暇が訪れたときに痛みが蘇る。それが辛いので、もう一度自分に知覚として傷を加えることで、「いま・ここ」に身を置き、過去を遮断してしまおうとする。

「Human Nature, Human Fate 「中動態」から始まる新しい〈わたし〉」(『WIRED』日本版VOL.30)

懐かしくなって、以前構成した原稿を引っ張り出してくる。それは数日前に考えていた器と傷の話と似てもいた。似てもいた、も何も、自分のなかにもともとこの原稿の記憶があったのだから傷のことを考えたときにこれが思い出されるのは至極当たり前の話なのだが。アイデンティティとは物語なのだという言葉には、当時ひどく救われた。べつに何に困っていたわけでもなかったが。それから数年経って、再び自分は立ち戻ってきている。アイデンティティって物語なのかー。器の輪郭をなぞるようにして傷をたしかめ、それと同じような形をした傷に重ねていく。物語が生まれる。

2020年12月9日

自転車に乗って夜の外苑西通りを走りながら、そういえば自分は移動することが好きだったのだと思いだしていた。いや、正確にいえば不意に思い出したわけではなくて、以前適当に書いたプロフィールに移動することが好きですと書いていたことを思い出し、自転車に乗って道路の上を流れながら、ああ、だから自分は自転車に乗っていたのかとふと気づいた。気づいたというか、そういうことにしようと思った。

六本木一丁目を通り抜けて坂をのぼり、人の多い六本木交差点を避けるようにしてミッドタウンの方へ曲がっていく。飲食店の立ち並ぶ裏通りを走っていたらバーの前で誰かがタクシーを待っていて、よく見てみたらデーブ・スペクターだった。デーブ・スペクターは、Twitterのアイコンと同じ顔をしていた。脳裏に焼き付いたその笑顔を振り払うようにして外苑東通りを渡って、裏通りに入って秀和六本木レジデンスの前を通って外苑西通りを目指すはずがうまく道路を渡れなくて、来た道を引き返して政策研究大学院大学の前に出る。高校生のころ誰かに誘われてこの大学の授業を受けにきたことがあった気がしたが、それがどんなものだったかはすっかり忘れてしまっていた。

大学から外苑西通りへと続く道は、緩やかにS字のカーブを描いている。高校生の頃は自転車に東京を走るのが好きで、なぜかよく六本木にも来ていた。幾度となく曲がってきたカーブを、今日も曲がり、でも、昔曲がったときのことはよく思い出せなかった。道に沿って並んでいる飲食店は様変わりしていたのかもしれないが、どの店にも入ったことはなかったので変わっているかどうかもわからなかった。一軒だけワインショップがあった気がする。いや、紅茶屋だったかもしれない。ずっとそこにあることは知っているけど、何なのかはわからない店。

墓地を沿うようにして流れているからなのか、夜の外苑西通りはいつも暗い。通りは外苑前に向かってまたS字を描いている。自転車のギアを重くする。加速する。道に沿ってゆるやかに曲がり、自分の体にほのかに重力がかかっていくのが感じられた。購入した作品を受けとるべく向かっていたギャラリーは、たしかカーブを曲がった先にあったはずだ。カーブを曲がりきり、青山通りに向かって道路が傾斜していくのが見えてきたあたりで、どうやら行き過ぎてしまったことに気づく。走るのが楽しかったからだろうか。自転車を止めて、iPhoneを開く。Google Map。検索ボックスにギャラリーの名前を入れる。シュルシュルと地図が動いてピンが落ちた先は、だいぶ前に通り過ぎてしまっていた場所だった。