2023年8月1日

7年前にはじめてウェブメディアで原稿を書いたとき、ひとつの記事の文字数は大体4,000字くらいだとされていて、結局それがいまでも自分の思考の型になってしまっている。よく考えると恐ろしい話だ。恐らくいまだったら2,000-3,000字くらいになっていたような気もするし、そうなると物事の捉え方も変わっていたように思う。

当時はなにかとシステマティックに考えていたから、4,000字というのは1,000字×4か800字×5で、その1,000字なり800字なりがさらに3-5つのブロックに分けられるべきだと思っていた。いまではそこまで気にしないが当時はテキストのブロックがそれなりに均等に分かれていることへの執着のようなものがあって、分量をこまごま調整していたと思う。もちろんなかには2,000字や1,000字など少ない分量が指定されることもあったが、そのときも常にこの考え方をとっていた。

自分にとって何かを書くこととは、200字程度のブロックのテキストを生成し、それらをモジュール的に組み合わせることになっていて、それはつまり思考の枠組みみたいなものが200字のテキストによって規定されているということでもある。そう書くとけっこう貧しいことのように思えてくるが、これはこれでそれなりの汎用性があり、それなりに書く能力が成長した側面もあるだろう。

時代や自分の仕事の変化によってあまりきっちりと文字数の決まった原稿を書く機会が減っていくにつれ、というか流石に5年くらいやってると飽きてくるもので、適当に冗長性を上げたり遠回りな表現を取り入れたりしてみようとも思っていたのだが、結果はこの通り、なんとなく間延びしたテキストがだらだらと生成されるだけになっている。

大したキャリアがあるわけでもなく技術的な成熟があるわけでもないが、年をとるにつれ、自分の文章は減速してきているようにも感じる(それはエネルギーや推進力がないみたいな話ではなくて、字義通りゆっくりとした文章になっているという感覚だ)。その変化が何を意味しているのか、自分ではよくわかっていないのだけれど。